1. HOME
  2. 会史
  3. 未分類
  4. 抹茶とタワシとレモン 馬杉次郎 明治43年生まれ

抹茶とタワシとレモン 馬杉次郎 明治43年生まれ


 赤いランニングに短パン、筋肉質な健脚姿もたくましい九十四歳、現役マラソンランナーだ。

 ブランデーにチョコレートの好きなダンディ。取材より一足先にテレビに登場した馬杉さんを拝見。お会いするのが楽しみだ。取材の日はこの冬一番の冷え込み、「寒いですね!」 「今朝も走ってきましてん」。小雪や風などなんのその、日焼けした顔でさらりという。  健康は足からと定年になった六十六歳からマラソンをはじめた。家の近くに第二京阪国道ができた。「早朝は通勤の車も通りませんやろ。車道走しっとったんですわ。まあそのうち一人で周りに広がる畑の道をテクテク歩いたり走ったり。空気もきれいやったですわ。」 三十年前になる。

 馬杉さんいわく、筋肉は備蓄されるそうだ。鉄はほっておくと錆びてしまうように筋肉も使わないとどんどん衰える。使えば使うほど伸縮力がつくらしい。そこで毎日のマラソンも「貯金してるんだぞ、貯金してるんだぞ-欲で走ってますねん。そいで、肺のおくまで空気を吸って酸素をためるんだぞ-と走るんですわ」。 「そうか、身体に貯金やと思うと続くんだ」と妙に納得した。

 そこに、「なんや親しげで楽しそうやね」とお茶を持って奥さんの賀子さんが登場。「三国一の花嫁ですわ」と馬杉さん。 「定年まで頑張りはったのに、それからも商売しては失敗ばかりで、『もうやめて』言いましてん」と奥さん。馬杉さんがそこで考えたのがボランティア、なかなかじっとしていられない性分らしい。地域のために自治会長や老人会長をつとめ、昭和六十三年には”健康は自らの足で鍛えよう”をスローガンに大阪リバーサイドマラソン大会を創設した。昨年には二千三百人もの参加があった。今はその名誉会長をしている。

 国内マラソンだけではなく海外の大会にも参加する。ホノルルマラソンに二回、八十七歳ではカナダ・バンクーバーのハーフマラソンに参加した。そのときすっかりカナダが気に入って、住んでみたいと思った。即行動。米寿の記念に老春を謳歌しようと夫妻でバンクーバーへ飛び立った。水上飛行機の出入りする入り江に面したコンドミニアムを借り、朝はスタンレーパークを走り、ロブソン通りで買い物を楽しむ。 四月から九月のベストシーズンを暮した。三年目は一人でホームステイも経験した。

 老人はドンドンふえていくのに出る場がない。体力は衰えても、知識や経験がある。「外に出て力を発揮して、世の中に尽くさんとあかん」。これが持論だ。「今年は申年ですわ。-見ざる、聞かざる、言わざる-それではいかん。大いに見て、聞いて、正論は発表せんとあかん。何でもことなかれ主義はあかんのや・・・」 「ニューシルバーパワーの会」をはじめてから、よく勉強するようになった。それにつれて、講演する機会も多くなった。

 「声のデカイのは軍隊で号令練習やっとったから。マイクなんかいらんよワッハッハ」。話すためにはたくさん本を読んで知識を増やす。そしてみんなに伝える。「私ね三万四千二百何十日生きとんです。健康も知識も人格も毎日も積み重ねですから・・・」  今も手元には『感性は力』、『感性論哲学の世界』などという本があり勉強中。「スゴイ!」と感心する私たちに、「自慢じゃないけど」と前置きして、取り出したら”千字文”。

 びっしりと書かれた漢字の達筆な事。

 「毎日こつこつ千字文を書いてから寝ますねん。それと抹茶。四十年ず~っとや。朝起きて顔洗って、抹茶飲んで、マラソンしてレモン切って蜂蜜につけたん食べる、それに朝晩タワシで乾布摩擦すんねん。抹茶とタワシとレモン、これですわ。いい事も三日坊主じゃダメやね」。

 目標は百歳でマラソンをしていること。あと六年だ。馬杉さんなら出来るに違いない。

 「文武両道に長けてますやろ。いろんな事やって来ました。悪いことはやってへんぞ!100%死ぬんやから100%生きなアカン!今その生き方に近づいてきてるな。これで、『お世話になったよ-、ありがと-』云うて死ぬのが優等生だな」。淀みない馬杉さんの話に引き込まれ、お茶はすっかり冷めていた。

 「あれやったりこれやったり、あっそうや、東大阪の青木さんが打ち上げる人工衛星『まいど1号』の応援団長もしてまんねん」 このパワーほんとうにどこから湧いてくるのだろう。「来年本出しますねん。へっへっへ」と留まる事がない。気がつくと外は吹雪いている。「帰りは下り坂や。歩いて行きや!」馬杉さんの声に押されて坂を走った。

(NPO法人にっち倶楽部情報誌/平成16年3月15日発行分より「抹茶とタワシとレモン」原文のまま抜粋)


過去録