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歴史的な局面における昭和天皇のお言葉


黒田裕樹

わが国は大日本帝国憲法(=明治憲法)から日本国憲法の制定という流れを受けて、いわゆる立憲君主制の立憲国家となっていますが、この体制は欧米の政治体制を参考にしながらも、わが国の伝統的な政治文化に即して練り上げられたものです。

かつての天皇はご自身が実際に政治を行うという政治的権力もお持ちでしたが、歴史が進むにつれてその権力からは遠ざかり、鎌倉幕府の誕生によって天皇お自らが権力を行使することは原則としてなくなりました。

しかし、鎌倉幕府が朝廷(=天皇)から征夷大将軍に任じられることによって政治を行うという形式が誕生したように、天皇のご存在は時の為政者に政治的権力を与える権威として存在し続けるとともに、為政者が天皇の権威を押しいただいたうえで政治を行うことがわが国の伝統となりました。

こうしたわが国独自の政治文化に対して、欧米の政治体制を練り上げて誕生したのが明治憲法であり、アジアで初の立憲君主制の立憲国家となったのが歴史の真実なのです。

昭和天皇も立憲君主制を順守され、昭和16(1941)年に勃発した大東亜戦争において、戦争開始の閣議決定の裁可を求められた際にも、陛下はご自身のお気持ちを封印され、憲法の規定どおりにお認めになられました。

しかし、昭和天皇は立憲君主制の例外として、ご自身で政治的な問題に決断されることが2回ありました。そして、その2回ともがわが国の運命を大きく変えることになったのです。

その一度目は昭和11(1936)年2月26日に起きた二・二六事件でした。この事件は、当時軍部を席巻していた天皇を中心とする社会主義思想を信奉していた陸軍の皇道派の青年将校が、政府の重鎮を次々と殺害したクーデターでした。

事件によって首相であった岡田啓介も襲われ、辛くも難を逃れたものの、当時は死亡したと思われていました。内閣不在で政治的決断を下せる人材が不在という危機において、昭和天皇は事件後直ちに「速やかに暴徒を鎮圧せよ」と命じられました。

二・二六事件で襲われた人々は、青年将校たちにとっては憎むべき存在であったかもしれませんが、昭和天皇にとってかけがえのない股肱の臣でした。それだけに陛下のお怒りは激しいものがあったと拝察されますが、いずれにせよ昭和天皇による素早いご決断がもしなかりせば、わが国は皇道派によるクーデターによって政権が乗っ取られ、その後の運命がどのように変化したか予想もつきません。

まさに陛下のお言葉がわが国を救ったといえますが、同じような奇蹟が大東亜戦争の終結時にもう一度存在しました。

わが国が敗色濃厚となった昭和20(1945)年7月、連合国側がポツダム宣言を発表しましたが、宣言文に天皇の地位に対する保証がなかったことでわが国が受諾を躊躇している間にアメリカは二度も原爆を落とし、ソ連は中立条約を破棄して攻撃を開始しました。

追いつめられたわが国は宣言の受諾の是非をめぐって御前会議を開きましたが、外務大臣が宣言受諾を、陸軍大臣が徹底抗戦をそれぞれ主張し、いつまで経っても平行線が続きました。

やがて日付も10日に変わり、開始から2時間経ったある時、鈴木貫太郎首相は立ち上がって昭和天皇に向かい、こう言いました。

「出席者一同がそれぞれ考えを述べましたが、どうしても意見がまとまりません。まことに畏れ多いことながら、ここは陛下の思し召しをおうかがいして、私どもの考えをまとめたいと思います」。

鈴木首相による発言をお受けになって、昭和天皇はお言葉を発せられました。

「それなら意見を言おう。私の考えは外務大臣と同じ(=ポツダム宣言を受諾する)である。今の状態で陸軍大臣が言うように本土決戦に突入すれば、わが国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」。

「祖先から受け継いだわが国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々にわが国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」。

「それにこのまま戦いを続けることは、世界人類にとっても不幸なことでもある。明治天皇の三国干渉の際のお心持ちを考え、堪えがたく、また忍びがたいことであるが、戦争をやめる決心をした」。

昭和天皇のご聖断によって、わが国はポツダム宣言を受諾し、国家存亡の危機を乗り切ることができたのです。

繰り返しますが、わが国は立憲君主制ですから「天皇による政治介入」は通常ならば有り得ません。しかし、国家の非常時においては、わが国は天皇陛下のお言葉によって危機を回避し、国体を護持することが可能になるのです。

歴史的な局面における昭和天皇のお言葉がわが国を救ったという歴史的事実を、私たちは決して忘れてはならないでしょう。


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