我が祖国 我が君 未来を担う子供たちへ  |  「昭和の日」記念行事実行委員会

我が祖国 我が君 未来を担う子供たちへ


島内 総明

今日は、何の専門性も持ち合わせていない一般人として、昭和天皇陛下とのかかわりを話させて頂く事になりました。私は昭和20年代生まれですが、明治生まれの父親と、大正生まれの母親だったことも関係していたのか、皇室アルバムというTV番組をよく見ておりました。ですから皇室の認識はもっておりましたし皇室について好感を抱いてはおりました。しかし、私にとってそれ以上の存在ではありませんでした。

私が昭和天皇陛下について、特別なお方であるとの印象を心に覚えましたのは20代後半の頃でした。皮肉な事ですが、それは日本ではなく、イスラエルという国に留学している時でした。

たまたま、イギリス人の留学生と相部屋だったですが、それが日本大好き人間で、日本は素晴らしい!「天皇ヒロヒト」は素晴らしい、あのような国家元首は世界の歴史に於いても唯一の存在だと思う。というのです。私は彼の言葉に、反応する言葉を持っていませんでした。

そして、今も忘れられない言葉を聞くことになりました。

アター ヤパニー?ラマ アター ロー マッキール アラブ ガム ヒストリア シェル ヤパン!(あなたは日本人なのに、どうして天皇陛下について、また日本の歴史について知らないのか!)と言われました。

私は彼が放った言葉を、その時はとても受け止められませんでした。確かに日本人でありながら日本の歴史について何も知らない、という現実は、恥ずかしいとは思いましたが、天皇陛下について知らないからと言って、私は非難されるものではないと思いました。

帰国後、友人と一緒にハトバスを使って東京見学をする機会がありました。最後が皇居でした。自由時間の時に、散策していましたら皇宮警察の方が数人、坂下門の前に立っていましたので、「今日は何かあるのですか?」と伺いましたら「もうすぐ天皇陛下が上野美術館からお帰りになります。」と申しますので、両陛下を待つことにしました。

数分後、黒塗り御用車が近づいてまいりました。私たちの目の前をお通りになった時、以外にも気が着いたら、我を忘れて両手で大振りしている興奮状態の自分に驚きました。両陛下も、わずか数人の我々に対して軽く会釈をなさり、その上、手を振って応えて下さいました。

通常では感ずることの出来ない感激の涙が何故か溢れてくる自分が不思議でした。

私は内村鑑三が提唱した無教会主義の流れをくむクリスチャンのグループに属している者ですが、戦後民主主義教育を根っこに受けている者です。人は法の前にすべて平等であるという、フランス革命以来の思想的傾向から抜けるのは難しく、皇居での感動があっても日本人として目覚めず、幾度となく、宗教上の先輩とのやり取りが続きました。

ある会合で私の尊敬する先輩が「天皇陛下のおられない日本は、もはや日本ではない!日本人の顔をした民族は残るでしょうが、それは日本人ではない、何故、あなた方はこれが分からないか!」と涙ながらの一喝でした。

あなた方は日本人の顔をしているが、日本人ではない!と言われたような気がしてショックを受けました。その日以来、私も日本の歴史について学ぶことが始まりました。

もう25年も前の話ですが、天皇陛下の前で、賛美歌を歌ったことがある方の感動的なお話を聞く機会がありました。

それは昭和22年の6月11日、神戸女学院を訪ねられた天皇陛下が、院長室でご昼食を済まされた後、玄関のポーチに立たれて中庭を通って出て行かれる途中、自分たちが歌う賛美歌の合唱に足を止められ、涙を流されたそうです。

賛美歌「わが祖国」の歌詞を紹介します。

一 わがやまとの くにをまもり
   荒らぶる   かぜをしずめ
   代々やすけく おさめたまへ
   わがかみ

二 わがあいする くにをめぐみ
   けがしき   波立たせで
   とこしなえに きよめたまえ
   わがかみ

三 わが日の本  ひかりを添え
   みこころ   おこなわれて
   主のみくにと ならせたまえ
   わがかみ

その時、陛下はおつきの者に何度も、何度もご案内されましたが、動こうとはされず、じーっとこの賛美歌に聞き入っておられたそうです。陛下のそのお姿を近くで拝しながら歌った感動は自分の人生で最高の経験だったと述懐されました。

出雲井 晶女史の名著「昭和天皇」のなかに、当時の様子が描かれていますので紹介いたします。

歌が進むにつれて合唱する女学生からすすり泣きが起こった。しまいには、陛下の顔を一心に見つめて歌っている女学生みんなが、泣きながら合唱を繰り返す。歌はときどき涙にとぎれる。見ると、陛下もまた泣いておられる。お目は涙にぬれて光り、何度もしばたたかれる。侍従長をはじめ、お付きの人々もみんな泣き、陛下をお迎えした神戸女学院の中庭は数千の人の涙で包まれた。とあります。

当時、陛下が行かれるところ、全国で同様の感動が渦巻き、敗戦で疲弊した日本人の心に復興の力を与えたのは、まぎれもなく昭和天皇陛下でした。

最近、ある90歳になる人生の先輩から「2月22日は何の日か、知っているか」と聞かされました。私は全く見当も付かず、うーんと唸っているだけでしたが、聞くと「爆弾三勇士」が敵に突っ込んでいた日だ、と聞かされました。

先輩が言うに「私たちの時代の人間は、2月22日だと聞けば、即座に応える事が出来たぞ!」との指摘に、恐縮したわけですが、「記念する、記憶する」という事が、日本国の未来について非常に大切だとのご指摘を頂きました。

本日は、「昭和の日」の記念式典でありますが、ここ大阪だけでなく同様の記念行事が行われております。私たちのこの記念式典は、八紘一宇の建国精神を、日本国の未来につなぐ行為だと思っております。

ユダヤに「忘却は流浪を長引かせ、記憶することは贖いの秘訣である」という格言がありますが、願わくば、この事が戦後レジームの脱却に寄与し、やがては教育の現場で教師の口から子供たちに、力強く語られることを訴え続けてまいりたいと思います。


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